2018年4月13日金曜日

“重力にあらがうこと”(5)~雨のエトランゼ~


 昏い電燈の下、石井隆の本を枕元に引き寄せ、そっと薄目で眺める夜がある。身体が火照ってたまらない訳ではないし、生きている実感が欲しくて皮膚(はだ)下の冷えた血をたぎらせるべく、火種を突っ込み煽っているでもない。眠りを邪魔しない、おだやかな小一時間になっている。

 考えてみれば、この初期の劇画群を石井が作ったのは三十代前半であったから、自分はもう随分とその年齢を越えてしまっている。折り返し地点を過ぎてもはや恋情に惑う楽章でもないのだけど、なんだか無性に石井の苛烈な場面に引き寄せられる。作中に点々と置かれた断崖に近づき底の方をじっと覗き込みながら、くぐもった囁き声に耳を澄ます。いずれおまえもそうなる、この頸木(くびき)からは絶対に逃げおおせないよ、そろそろ順序が廻ってくるから身辺整理に入ってはどうなの。変な喩えで笑われそうだけど、死を巡る場面に視線を縛られる。厳粛な気分で頁をめくっている、それが実際嘘のないところだ。

 新旧通じて数多(あまた)の“死教育”を石井隆作品から受けた私たちにとって、また、年齢を経て幾つもの野辺送りを済ませてようやく胸に抱くのは、石井の劇における死の内実は存外リアルなものだという、乾いた、同時にいくらか勃い感懐である。村木たち、名美たちは異常極まる状況に追いやられ、現実にはあまり見ない稀有な死出の貌(かたち)を取るのだけど、そんな画面上で交わされる感情の往還は現実の私たちのそれに近しい。

 其処に天寿を全うする者はほとんどおらず、登場人物の生は中断を余儀なくされる。渡河してからでさえ憂いをいつまでも引きずり、彼らは歩み続ける。冥界が本当にそんなものかどうかを知るすべはないが、なんとなく当たっているような気になる。未整理のまま淵に飛び込み、支離滅裂になっていく寂寥感あふれる険しい局面こそが実際の死じゃないだろうか。ずるずると整理がつかない、そんな物じゃあるまいか。

 そういえば、映画『花と蛇』(2004)と『花と蛇2 パリ/静子』(2005)において、また、先行する劇画【黒の天使】(1981)の挿話のひとつにおいて、石井は高齢者の死を活写していた。テレビモニターやマジックミラー越しに或る日おんなを見初め、粘つくように凝視した挙句に思考を持っていかれる。いつしか記憶の火鉢に溜まった灰の奥から、橙色(だいだい)に息づく情念が顔を覗かせ、男たちは犯罪まがいの際どい蒐集や止むことのない官能遊戯に取り憑かれていくのだった。その末路は混沌を極めるのだが、突如ざっくりと斬り落とされて舞台をのたうっていく。

 望み叶って手中にした仄(ほの)明るい肌のかたわらに横臥し、やがて男たちはおんなにはげしく組み敷かれて死んでいく顛末なのだったが、はたして彼らは昇天し得たのだろうか。煩悩を見事なまでに振り払い、歓喜の渦に抱かれてこれまでの人生の苦役を忘れ、ああ、ようやく終わった、有り難う、と溜飲を下げたのかどうか。実はかなり疑わしいところがある。私見にはなるが、一見幸福そうに描かれた老人たちの臨終の奥まったところは、やはり相も変らぬ急な崖なり薄暗い森との対峙であり流浪であった。

 石井の指し示す死は常に不可解で、無情で、それゆえに忘れ難い。荒涼とした風景が累々と列なって記憶に刻まれていくのだけれど、どうしてここまで鮮明に刷り込まれるかといえば、それは奇観であるよりも以前に現実の死と本源的なところで重なって、容赦がなく、力強いからだ。石井が描いたあの道を誰もが辿るより仕方ない。割り切れぬ節目の刻(とき)を迎え、瓦礫だらけの廃墟然とした路を誰もが歩むに違いない、と読み手の多くが信じてしまう。

 劇中の自死にしても大概がはげしい錯乱をともなうものであり、安らかな幕切れには至っていない。残された友人や係累においては悔恨や疑念に苛まれる域では収まらず、むごい災厄が直接襲いかかる。さながら髪の毛をがしがしと掴まれ、地べたを思いきり引きずられるのが石井の劇の常套、あらがえぬ手順書だから、死はまったく終点ではなく、むしろ起点となって機能している。『夜がまた来る』(1994)しかり、『GONIN2』(1996)しかり。死が幕引きの道具とならない。

 花冷えとなったここ数日は夜気に震え、布団に包まりながら、石井劇画の代表作【雨のエトランゼ】(1979)ばかりを読み返しているのだが、これもまた混迷の度が高いひとりのおんなの死出の山路だった。完全版(*1)がワイズ出版から出されたのは十八年程も前であったが、ミルキィ・イソベの装丁が美しいあの紅い本がどうした訳か見つからない。誰かに貸したままとなったのか、それとも整頓下手の私が迷子にしてしまったのか。仕方がないので古書店から別のものを送ってもらい、昼夜駆けて喉を渇した馬みたいになってがぶがぶと読み返しながら、これは相当に不可思議なひとの最期が描かれた、また随分と石井隆らしい鏡面構造体だといく度も面白く感じた。

 巻末に添えられた反古(ほご)原稿は、石井隆という創造主が秘めた恐るべき執念やワンカットなり台詞ひとつひとつに徹底してこだわる堅牢な作家性をひも解く上で、きわめて重要な付録となっている。作品の熱量と編集人の熱意とが束となって伝導を果たし、こちらの脳髄を温める。やはり名著の風格がある。読み直して良かったと思う。

 出版者、寄稿者の石井劇画に向き合う真摯さにほだされたところが正直あるし、また、このところ私が囚われ続けている考え、人と重力との間をめぐる駆け引きにちょうど巻きつき共振して、【雨のエトランゼ】について考える時間になっている。名美の投身する姿を石井は圧倒的な筆力で紙面に彫り込んでいるのだが、茫然と見送るしかなかった村木同然の虚けた顔になって、なんであんな事になったのか、どうして石井はあの形を選んだのか、めでたい桜の季節なのに、屋上から見やる厚い雨雲ばかりを想っている。

(*1):「おんなの街 Ⅰ 雨のエトランゼ」 石井隆 ワイズ出版 2000

2018年3月21日水曜日

“重力にあらがうこと”(4)


 宙空をつかんで足をばたつかしても、何事も変わりはしない。赤子同然に無力だ。人工の翼で飛ぶ訓練を重ねていれば話は別で、旋回や上昇下降も少しは可能となる。金属製のカゴを背負い、そこにプロペラや燃焼器を抱いていれば飛翔力はさらに高まるに違いないけれど、今は身ひとつの「投身」に限って思案している。

 その事を如実に語っているのが、都築直子(つづきなおこ)の体験記の一節だ。スカイダイビングの魅力について熱く語る合間に、都築は次のように綴っている。

「宙を落ちる訓練をしたジャンパーは、ビルの屋上から飛び降りても、木の葉のようにクルクルとまわりながら落ちることはない。屋上の縁(ふち)を蹴った瞬間から、自分の意思で飛んでいく方向をコントロールすることができる。最初の一、二秒はカラダが宙に静止したようなスローモーションの世界だろう。やがて落下速度が増してきたら、姿勢をコントロールしてビルの壁面から逃げる。垂直に墜ちながら同時に水平方向移動(トラッキング)するのだ。」(*1)

 大事なのは「木の葉のようにクルクルとまわりながら落ちる」という部分。姿勢の制御がいかに困難であるかを彼らジャンパーは体感している。その上で高ささえ十分にあれば、自分たちはこれをコントロールしてみせると胸を張っている訳である。普通の人には無理だよね、手も足も出ずにクルクルまわっちゃうよね、と言っている。

 先の臨床報告とぶつかる発言でよく分からなくなる。「人体の落下」とは一体全体どういう現象なのか、木の葉のように回るのか、それとも同じ姿勢で落ち続けるのか。その辺りの解説に代わる文章が同じ本に見つかったので、こちらも書き写しておこう。

「高いところからモノ、たとえばリンゴを落とすとしよう。リンゴは加速しながら落下をつづける。ニュートンの法則というヤツだ。落ち始めて十二秒たつと、リンゴは等速運動にはいる。それ以上落下スピードは増加せす、一定のスピードで落ちて行く。リンゴの代わりに人間を落としても原理はまったく同じ。ヒコーキから飛び出して十二秒が過ぎると、カラダに受ける風のスピードが一艇になる。落下していく側からみれば、自分のカラダが“浮いて”いるように感じるのだ。時速二百キロの空気抵抗を利用し、空中姿勢をさまざまに変化させてやれば、カラダ自体がひとつの小さなヒコーキになって、空中を自分の意志で飛びまわることができる。それも翼もなにもない素手で、だ。だからジャンパーは“ボディ・パイロット”と呼ばれたりする。この空中遊泳をフリーフォールという。」(*2)

 ここで読み取れる点は、素手で飛び姿勢を変える、クルクル回る木の葉状態から理想の腹ばいスタイルに回復するには「時間」が必要ということだ。私がかつてタンデム方式ながらダイビングした際に、飛行機は高度3千メートルまで上昇したのだったが、そこは北アルプスや南アルプスを形成する山稜とほぼ変わらない場処だった。そんな高みにまで登らなければ「カラダひとつの小さなヒコーキ」を実感し得る「時間」を作れない。あれこれ試し得る高度がようやく天地の隙間に捻出され、黒豹のようなジャンパーが飛び出していく。彼らは「時間」目掛けてダイブしていたのだった。

 飛行機の床を蹴って飛び降りる際に、わざわざぐるぐると前転しながら飛び降りる男もいて、その瞬間の目をがっと見開き、顎あたりがびりびりと緊張したような特異な表情が今もって忘れられない。玄人は凄いというか、怖いな、危ないな、既にして頭がどうかなっているのじゃないかと正直その熱狂ぶりには呆れてしまったのだが、今にして思えば、彼らは空中でいくら仰向けになろうが回転しようが、いずれ体勢を立て直すことが可能な技術、空気抵抗を理解して活用する能力を体得していた、要するにそれだけの事である。自信満々にこれでもか、どうだこん畜生、と、妙ちくりんな姿勢を取って余裕で遊んでいた訳だ。

 肝心なのは、繰り返しになるが何より「時間」であり、それを生む「高さ」なのだ。それが無ければ人間はただただ落ちていくより仕方ない。インド、ジャイプルでの回転運動を付けたまま落下を開始してしまった人体であれ、自ら墜ちるという気持ちを抱いて宙に踏み出した杜(もり)の都の自殺志願者であれ、落下が開始されてしまった時点においては徹底して無力であった。自らの意思をはたらかせて幾ばくかの作用を世界に及ぼす余裕なく、大概のひとは何ひとつ為す術がないまま回り続けるか、凍りついたようになってひたすら墜ちた。

 最初の都築の文に書かれたビルというのは、相当の高さの建築物、たとえばエッフェル塔クラスの物を指しているのだろう。パラシュートを開くゆとりもなく、また十分に機能しない低層からの降下はいかに熟練のスカイダイバーでも工夫のしようがない。街中でよく目にする数階建て雑居ビル程度の高さからの転落においては、スカイダイビングのどんな猛者であれ、私たちと同様に徹底して無力と捉えてよい。

(*1):「わたし、ピーター・パン! 大好きスカイダイビング」 都築直子 立風書房 1985 132-134頁
(*2): 同 40頁

“重力にあらがうこと”(3)


 インド11番目の中核都市ジャイプル。人口が300万人といえば大阪府に相当する大きさだが、そこの学校で起きた転落事故の被害者はゆっくりと身体を回転させながら地上へと墜ちている。屋上の欄干に腰を下ろし、座った姿勢のまま後ろ向きに落下を開始したからだ。臀部を支点として上半身と下半身を時計のふたつの針さながらぐるりと回して倒れ込んでいる。当初から回転運動が付随しており、空中においても被害者の身体の動きを支配している。

 では、そのような口火を切らなければ自然落下する人体は独楽のごとき回転はなく、そのままの姿勢で風を切り地上へと向かうものであろうか。上の事故とは性格が異なるが、参考になりそうな資料がある。自死をもくろんで身投げした挙句に病院に担ぎ込まれた複数の患者を治療し、そこで得た知見をまとめた臨床医の論文である。仙台市立病院医誌の記事のひとつで、これは現在、当病院がウェブ上にて広く公開している。読むと「人体の落下」というものがどのような性質か、薄っすらながら理解される。(*1)

 次のように始まっている。「近年,社会構造の複雑化に伴い,自殺未遂者の増加が社会的問題となり,われわれの仙台市立病院救命救急センターでも自殺未遂者の搬送が年々増加している現状である。その中でも自殺企図飛び降り外傷は全身管理・精神的管理のほか,高エネルギー性多発性粉砕型骨折への対処が必要で治療に難渋する。われわれはこの外傷の特徴を知る目的で,過去六年間に当院救命救急センターで扱った患者についての後見的調査を行ったので報告する」という前段だ。

 そこから先は生々しい記述に溢れていくが、一読するとさまざまな想いを抱く。生き残った身に起きただろう激痛と後遺症も想像されてくるし、また、全力を尽くして手当を行う医療スタッフの献身と心的ストレスもうかがわれる。現実に真っ向から臨んだ内容で、意味深い報告と思う。

 1995年1月から2000年12月までに救命救急センターに搬送された総数28名のうち、これを性別、年齢、飛び降りた場所と高さ,外傷骨折部位とその数などについて調査している。高層化は進み、発生場所は多岐に渡るのだろう、飛び降りた高さは2階から9階までとばらつきがある。最も多いのは2から3階のあたりという。

 負傷部位を調べると一人当たりの骨折数は平均3.5個であり、上肢では肘頭骨骨折と前腕骨骨折が多く,胸・腰椎骨折も半数を占める。また、骨盤骨折も多く,下腿骨、足関節周囲もひどく痛めている。低層階からの落下では胸や腰椎骨折が最も多く見受けられる。

 整形外科医師たちは統計的に見て、飛び降り外傷に定型的な受傷パターンの存在を感じ取っている。着地する際の姿勢を思い描き、大小の骨が次々に衝撃を受けて折れていく様子を冷静に幻視する。「すなわち、下肢から地面に着地した形で落ちることが多いのではないかと考え、足から着地することで、足部を砕き、ついで下腿、大腿に、さらに骨盤に加わり、それぞれの骨を破損した後、脊椎(胸・腰椎)に強い垂直圧縮力、過屈曲力が加わって破裂骨折などを生じ、最後に手をつくことで肘頭、前腕などに骨折を生じる」と推測してみせる。(*2)

 思わず悲鳴を上げたくなる文面だ。この年齢まで骨折したことが一度もないのだし、痛みというものにからきし弱い身であるから、字を追うだけでもう怖くて怖くてたまらない。どれだけの苦痛が押し寄せるのだろう。内臓だって筋肉だって同時に引き裂かれていくのであって、猛獣の群れにいっせいに噛み砕かれるか、大型車両にもろに轢かれるに等しい酷さと思える。

 菊池寛(きくちかん)に「身投げ救助業」という短編がある。書かれたのは大正の初めだけど、住まいの脇を流れる川に身投げする者が後を絶たず、彼らを救おうと夜な夜な奮戦する老女の日常が軽い調子で綴られていた。京都が舞台であり、清水寺など一部を除いて高層建築など見当たらないという時代背景がある。清水の舞台にしたって眼下は岩肌を露わにする箇所もあり、「下の谷間の岩に当って砕けている死体を見たり、またその噂をきくと、模倣好きな人間も二の足を踏む」ことが多く、自然と自殺者は川辺へと向かい、橋なり岩場から川面に飛び込んだと書かれている。大した高さではないのだろうが、それでも投身する者は身震いし、落下に際して大きな悲鳴を上げる。その声を聞きつけて、この小編の主人公はさおを片手に川端へと走ったのである。(*3)

 現代人がアスファルト路面へ自身の肉体が激突するだろう事を物ともせず、無言で階段を登り切り、宙に舞うようになったのは一体どうしてなのか。死に臨むことの苦痛なり無念を伝える“死教育”の機会が学校に、世間に、圧倒的に足らないからではないのか。「砕けている死体やその噂」が隠蔽されてしまったからじゃないか。上の医学論文など若い人に早いうちに読ませ、どんなに苦しい目に遭っても飛び降りてはいけません、そんな痛いことは絶対に止めておきなさい、そう伝えたい気持ちが湧いて出る。

 余談はさておき、高い手すりをどうにかこうにか越え、さらにその先の空中に一歩足を踏み出すか、それとも両足でぴょんと跳ぶものかは知らないが、投身者は足先を下に向けて運動を開始して、大概はそのまま地上に衝突するのだと識者は考える。高層地点での身体の向きと着地のときのそれは、あまり違わないことが分かる。重力に捕らえられた人間はもの凄い力で地球の核に向かって引き寄せられ、地面に至ってあっという間に砕けていくのであって、その間に自力で何かを変えることはほぼ不可能だ。

(*1): https://hospital.city.sendai.jp/pdf/p135-136%2023.pdf
(*2):「自殺企図飛び降り外傷の検討」 渡辺 茂、安倍吉則、高橋 新 仙台市立病院医誌 23,135-136,2003   
(*3):「身投げ救助業」 菊池寛 1916  日本現代文学全集 57 1967 所収。私が手にしたのは1980年の改訂版。